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「新・江師風土記」の記事一覧

新・江師風土記(6)日本酒の会・夏編

シーズン

2017年07月08日

オートキャンプ場で日本酒を飲む人はあまりみかけない。

バーベキューとなると「ビール」

こ洒落たイタリアン風なアウトドア料理なら「ワイン」とか

やっぱり、料理に合わせて酒は選びます。(ほろ酔いまでは)

 

そんなこんなで、あまり日本酒を呑む機会が少なくなってきて

無性に呑みたくなるころ声がかかるのが「中村・日本酒の会」

 

 

年に4回くらい催される秘密結社です。
呑んべえの栄誉に恥じることのないように「3人の酒人」が
「これぞ2本の酒銘」をそれぞれチョイスして
割烹常連に持ち込む。

秘密結社と言ったのは「3人の酒人」はこの酒席で会うだけで

それ以上何も知らないからです。

(割烹常連の主人)

6人の向こう三軒両隣。酒という一つの話題を語り合うのはぼっちりの人数
土佐の流儀である「献盃」はしません
ゆっくりと、自分の時間で、呑みたいものを呑む。そんなルールです。
日本酒を楽しめるのも「3人の酒人」と「割烹常連の主人」の料理のおかげです

(主人と酒人に「かんしゃかんしゃ」)

日本酒は、たぶんラベルによって酒味を感じとり
自分の喉で確かめ、料理との相性から「この一本」となるのでしょう。
酒銘と特定名称酒の分類標示が一次審査
今では、裏側のラベルに香味の分類を表示しているのもあります
どういうわけか酒造会社の名称はあまり気にとめないようです。

 

そういえば「無手無冠」
オートキャンプ場ウェル花夢がある町「大正の酒」です。
栗焼酎「ダバダ火振」といえば納得するほどの全国ブランドになりました

 

合名会社北幡酒造を株式会社無手無冠に社名変更したのが昭和63年(1988)
「冠におぼれず、飾らず、素朴な心を大切に、ひたすら自然を生かした地の酒づくり」
そんな地の酒にこだわった4代目社長山本彰宏さん。
大手コンビニから引き合いがあったときも「外国産を使ってまで増産はしない」
自ら試行錯誤して新しいことに挑戦する熱い人。
栗焼酎の大ブーム前は、倒産寸前の経営状態で、銀行は融資を拒否。

支援したのは地元の農協
そんな経験が「焼酎銀行」の起業ヒントになったのだろう。
ちなみに「焼酎銀行」の建物は某銀行店舗跡です。
エピソードには事欠かない彰宏さんですが、今年2月に亡くなりました。
本当に惜しい、もっともっと話を聞きたかった。
だれか、氏のオーラルヒストリーをまとめてくれるライターさんはいないだろうか。

 

 

 

   
日本酒は酒銘が表
「ダバダ火振をちょうだい」でいいのだ。
だれも「獺祭(だっさい)」が旭酒造株式会社とは知らない
だれも「田酒(でんしゅ)」が西田酒造店とは知らない

 

 


本日のエントリー
▼高清水(純米大吟醸)秋田酒類製造株式会社/秋田市
▼Nature-H・バレル(純米大吟醸)楯の川酒造株式会社/山形県酒田市
▼立山(特別本醸造)立山酒造株式会社/富山県砺波市
▼御前酒(特別純米酒)株式会社辻本店/岡山県真庭市
▼Nature-H・キモト(純米大吟醸)楯の川酒造株式会社/山形県酒田市
▼賀儀屋(無濾過純米酒)成龍酒造株式会社/愛媛県西条市

▼大那(特別純米生酛造り)菊の里酒造株式会社/栃木県大田原市

▼かんしゃかんしゃ(純米酒)吉乃友酒造有限会社/富山市

どれも楽しいお酒でした。宿は「寿吉」

(20170708胡)

新・江師風土記(5)河内神社

シーズン

2017年07月01日


 高知県神社明細帳は、明治12年に内務省の布達により高知県が調査し、まとめた県下の神社の総目録
 神社の名称、鎮座地、社格、祭神、由緒、例祭日、建物や境内の規模、合殿神社、境内神社、信徒数などが記録されたものです。


 河内神社は、県外にはほとんどなく、四万十川、吉野川、鏡川、吉野川上流の山間部に集中

 河内神社の総数は144社で西高東低、高岡郡が47社、幡多郡が33社と半数を占めます。

 四万十川の上流域に69社あり、まさに「河」の神様です。

 四万十町には39社(窪川13・大正13・十和13)の分布となっています。


 祭神では、窪川が天津彦根神(あまつひこね)が多く、大正・十和は猿田彦命(さるたひこ)が多いのが不思議です。
 ここ、江師の河内神社の祭神は、

事代主命(ことしろぬし)と猿田彦神(さるたひこ)。
 事代主神は「釣り好き」ということから漁業の神様とも言われます。
 猿田彦神は道案内の神さま。下津井の仁井田神社の祭礼では、住吉神社までの神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をしていた記憶があります。

 オートキャンプ場「ウェル花夢」にお泊りの朝は、江師の河内神社を参拝してください。その後、四万十川の河内神社巡りも「おもしろい旅」になるとおもいますよ。

 なんでもない日常

 火野正平の「こころ旅」みたいに、なんでもない風景がとてつもなくいとおしい。気張った観光地にはつかれるあなたにおススメです。

(20170701胡)

新・江師風土記(4)ヤギのはなちゃん

シーズン

2017年06月26日

 

(5か月くらいのはなちゃん)

オートキャンプ場ウェル花夢と

江師地区・自伐林業グループ「江師もくもくクラブ」の

共同企画で始まった『江師ヤギ牧場』

「江師もくもくクラブ」が毎日のお世話、

ウェル花夢は乳しぼりとチーズ作り

そんな役割分担で絵を描いて

とりあえず、一頭を飼えるか試験的に始めたのが

2014年10月 土佐清水市三崎の

野老山さんに譲っていただいたのが「はなちゃん」

生まれて3か月ばかりで、お母さんと別れさせることをしてしまった。

野老山さんは「梅ちゃん」と呼んでたのですが

近所に永山の梅ちゃんがいるので、

ウェル花夢の「はなちゃん」に改めました。

 

はど、くすばかずら、セイタカアワダチソウ、竹、椎、樫などなど、

ウェル花夢周辺の整備のため刈払った花木草木何でも元気に食べてくれる。

それでも、一品食いは大嫌いで、

すぐにプイと食をやめてしますグルメ派でした。

ウェル花夢のお客さんにも「はなちゃん」と

可愛がっていただきました。

子どもには、ヤギのウンチ💩を手に取って、

割って、嗅ぐように差し出すと「くそうない」

(首輪は愛犬キートンの形見)

 

毎朝の餌やりとベットメーキングと柵内掃除

冬は食べ物がなくて大変。A飼料のトウモロコシに代替え

半年たって飼い方の試験に合格。

クラブに『江師ヤギ牧場』拡大計画の提案をしたら

あっさり否決。 「生き物は責任がもてん」

仲間も増えることのない一人生活を強いることになった

(申し訳ない)

イギリスでは一匹飼いは、動物虐待の犯罪行為

ましては、雌の本懐を成し遂げることもできない

一度は、疑似妊娠のようになり、

乳腺症にも感染して獣医さんのお世話にもなった

 

どうしようかと悩んでいたところ

南国市のOK牧場のニュースを見て、

「よっしゃOK牧場」となりました。

お別れの写真です。OK牧場さん、はなをよろしく。

 

(はな。子ども産まれたら会いに行くよ)

(20170626胡)

新・江師風土記(3)江師の地名考

シーズン

2017年06月19日

(江師の全景)

(写真の右下がオートキャンプ場・ウェル花夢)

「江師」は、漢字2字で2音節エ・シであり、日本語では理解できない地名である。
 子どもの頃、「大正には市が「エ市」と「コイ市」、隣り合って二つあるよ。」と戯言をいうくらい不思議な地名であった。江師がウェル花夢のあるところで、小石は対岸の小さな集落

 「江」は、入江と川の意がある。特に多いのが「江尻」地名で全国に分布する。江尻は川尻や川口と同じ場合と海岸の場合とがある(民俗地名語彙)。エジリがエシに転訛したとすればここ以外にも事例がありそうだがみあたらないし、江師地区には梼原川の還流丘陵をようする地区ではあるが、特に川を意識する川尻や河口の地形でもない。
 西土佐の江川や四万十市の鵜ノ江など「江」の地形的特徴が理解できるが、江師は川地名とは思えない。

 

(メキシカンハット)

▼アイヌ語
 お遊びで地名アイヌ語小辞典(知里眞志保著)で「江師」をあててみることにする。
 「e-+si-kot(え・シコッ)」と読めば、(頭)+(大きな窪地)となる。つまり、四万十川の河川景観の特徴である穿入曲流の還流丘陵が、ここ江師の地形的特徴であり、集落の中央に位置する字「村中山」に鎮座する河内神社の鎮守の森が丁度「頭」であり、その周囲となる旧河床が「大きな窪地」と見える地形である。この「え・シコッ」が転訛して「エシ」となり江師の漢字をあてたのではなかろうかと推定してみる。古代、梼原川を往来するだれもが、このメキシカンハットのような景観をみて「え・シコッ」といったであろうと納得する景観である。
 ちなみに、この江師の対岸が小石である。小石は周囲を江師に囲まれた四万十町で面積5ha位の一番小さな大字である。地検帳でも枝村として位置付けられており、江師村の庄屋の支配下であったようだ。この小石を昔の人は、「小江師(コ・エシ)」と呼び、それがいつとなく転訛してコイシとなったとみるのはどうだろう。

 

(烏帽子の地名は多い)

▼烏帽子説
 メキシカンハットといったが烏帽子の形から命名された地名は全国にある。多くは烏帽子山、烏帽子岳、烏帽子岩といった山容や岩礁、岬であるが還流丘陵のこの地形は烏帽子ともいえ、エボシからエシに転訛したのではと根拠もなく思ってしまう。

 

▼「エゴ」説 入りこんだ所・凹状地形
 他の言語での安易な解釈は危険との指摘があるのでアイヌ語起源説ではなく「エゴ」説はどうだろう。
 「エゴ」は、高知県安芸郡や山口県柳井市では、日当たりのいい山の窪地。徳島、高知県では川の彎曲して淀んでいる所。高知県幡多郡では岩の穴、岩と岩との間のことをエゴタともいう(民俗地名語彙)。高知県方言辞典にも「川が深くて淀んでいる所(大正)」。エガマなどの柄を差し込む穴、固定させるクサビをエゴともいう。エゴシがいつの日か転訛してエシになった。
 それと「シ」の解釈である。方言でいえば「おんし」「おとこし」「おなごし」の人の意の「し」。そうなれば「凹状地形に住む人」から江師となったのか。合理的な根拠は一つもないが、思い浮かべたままの備忘録である。
 

四万十町の地名なら「四万十町地名辞典」hpを

(20170619胡)

新・江師風土記(2)残った島の村

シーズン

2017年06月09日

(上部がウェル花夢のある江師地区)

 

地平線に沈む太陽をおっかける北海道の道。

そんな走る旅と真逆なのが四国の道、とりわけ高知の道
四国山地のしわをぬって流れる四万十川は曲がった川、

それに沿った道も曲がっていた。
今ではトンネルと橋で改良され串刺しとなった国道(信号も少ないので自動車専用道)である。
ただし、中村(四万十市)方面からおバカさんなナビに頼っていたら、

地図上ではウェル花夢直行の「酷道与作(R439)」を案内するので要注意

 

四万十川を車で走るときは、窓、全開がいい
たまには、折れ曲がった旧道を寄り道するのも変わった景色にであえ、楽しいもの。

その折れ曲がった四万十川は『穿入蛇行(曲流)』といって全国的に有名で、
その中でも特徴的な地形が『曲流切断』による『残った島』がある。

 

野本寛一著『四万十川民俗誌』に

「上流からの水勢が、第一曲点に突流し続けることにより、湾曲の頂点たる第二曲点を迂回することなく直接第三曲点に達し、貫流するようになる。こうなると、迂曲流と貫通流に囲まれた地は川中島となる。やがて、迂曲流の水がなくなり、流れは第一曲点と第三曲点を結ぶ川筋を本流とするに至る。環状をなす曲流河床跡は長い年月の間に安定した水田となり、残存島の裾麗部の一部や環状の水田を屏風状にとり巻く周囲の山の山裾に民家が集まる。こうして、曲流切断という自然のドラマによって形成された円環状の地形は、まことに日本人好みの小宇宙を出現せしむるのである。人びとは、そこをムラの景観の核、信仰の格として大切に守り続け、そこにムラとムラびとを守る神を祭る。」とある。

 

四万十町では、下津井・西ノ川・江師・大正(田野々)・昭和(戸口)・大井川に『残った島』はあり、その多くが鎮守の森となっている。

2時間あれば全行程、見て廻ることができる。

上の写真は1975年(昭和50)11月の航空写真で
右側から下部に流れる川が四万十川1支川梼原川、

上部の段丘耕地の真ん中に緑色の森となっているのがウェル花夢のある「江師」である。
ウェル花夢は、この写真にはないが

江師地区の右側の緑色の区画された農地(旧大正営林署江師育苗場)の場所に位置する。

江師地区の中央部が、いわゆる「残存島」の鎮守の森で、字名はまさに「村中山」。
旧河道の農地、山裾の民家とあわせ「曲流切断」の円環状地形がよくわかる空中写真である。

 

ウェル花夢にキャンプにきたら、ぶら~り江師をひと廻りしたら実感するよ

 

四万十町には、国選定の重要文化的景観として『四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来』、国指定天然記念物の『小鶴津の興津メランジュ・シュードタキライト』もあり
地球の移ろいを感じる旅となるでしょう。

(20170609胡)

新・江師風土記(1)田植え

シーズン

2017年06月05日

ウェル花夢の江師地区。田植えも終わり、水と光をたっぷり浴びて育つ

田舎で生きるすごいところは、毎年おなじことを繰り返すこと。
後継者がいない、機械貧乏、現金のため出稼ぎが一番
・・とかいいながらも、
春になると山間の少しばかりの田んぼに水をはり田植えのしつらえをする。
 
1年サイクルの暮らしぶりは、
2千年の体に焼き付いた弥生人のDNAなのだろう。
そんな弥生文化の稲づくりは、
縄文時代を生きる自由な山暮らしの人々にとって
退屈な苦役でしかなかったのではないかと思えてくる。
 
シーシュポスの神話にこんな刑罰がある。
「大きな岩を山頂に押して運ぶ。
 と、その瞬間に岩は転がり落ちてしまう。
 また、同じ動作を何度繰り返す」というもので、
意味のない行為が最大の刑罰だという。
 
(並ぶ早苗)

稲作を意味がないというわけではない
米が暮らしに豊かさをもたらしたと歴史で習ったが、
失ったものも多い。
佐賀県吉野ヶ里の環濠集落は、稲の「富」が集積されるゆえに、
収奪と配分に力関係が生まれ、
外敵から「富」守る必要から、
戦いも生まれてくる。

 

縄文の山人の暮らしは、春は春、秋は秋の、
時折々の山の実りをいただくだけ。
余分にいただくこともないから、
蓄える「富」も必要がない、蓄える土地もない。
外敵が来ることもないが、来たら山にいっとき隠れればよい。
土地に縛られることもない自由人。

 
「漂白」と「定着」は生き方の分かれ道
家を建てその借金のためにがむしゃらに働く都会の人々は
土地に呪縛された里の人と同じ弥生人に流れる「定着」のDNA

私のDNAは「漂白」する縄文人に違いない。

(20150605胡)

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